スイス・コー世界大会

日本の国際社会復帰とアジアとの和解で紹介している他に、コーには毎年様々な、異なる世代の日本人が参加し、様々な問題解決、発信、ドラマに貢献してきました。 その中から、幾つかを紹介します。

1978年
三菱総合研究所中島正樹社長が世界公共投資基金
(グルーバル・インフラストラクチャー・ファンド、GIF)
構想を世界に発表

1983年
西田誠哉スイス大使とフィリピンのマングラプス元外相

二人の滞在中にベニグノ・アキノ上院議員がマニラ空港で暗殺。

3年後の人民革命でアキノ議員の妻コラソン・アキノ氏が大統領に就任。
マングラプス氏が外相に任命された。

1984年
黒河内康スイス大使と南スーダンのラグー将軍。
大使は外務省のアフリカ通

関西・スイス協会(会長:日向方斉住友金属会長)派遣の中学生を隔年ごとに受け入れて、各国の青年と交流。

ホームステイの合間にコーで世界中の青年達と寝食を共にする得難い体験をしてもらった。

「幸せなら手をたたこう」を日本語と英語で歌う。
グループ対話。受験、いじめなどが話題に。
高橋秀直さんは、レバノン人がルームメイト。
剣道を皆さんに指南。

1996年
コー設立50周年記念大会。

MRA、総合研究開発機構(日本政府シンクタンク、NIRA)と米国の戦略国際問題研究所(CSIS)共催による「和解への課題(Agenda for Reconciliation)」会議が開催。
この年は、2か月の会議期間に日本から100名以上が参加した。

(左から)羽田孜議員、鳩山由紀夫議員、藤田幸久国際MRA日本協会専務理事、マーハー国際赤十字総裁、
ラジモハン・ガンジー元上院議員、渋沢雅英MRAハウス代表理事、アラン・グリフィス豪州元首相補佐官
遠藤實大使(左)村田光平大使(右)
後方は羽田綏子夫人と鳩山幸夫人
(左から)マーセル・グランディーMRA財団理事長
コーネリオ・ソマルガ元国際赤十字総裁
ダグラス・ジョンストンCSIS副所長
星野進保総合研究開発機構(NIRA)理事長

2002年

サッタル・パキスタン前外相、羽田孜、谷川和穂、井上和夫各議員(右から)

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