戦後のドイツとフランスの和解

第二次大戦下でもMRAのネットワークは維持され、大戦直後から様々な和解活動を開始した。

1946年、スイスのMRA関係者が浄財を集めてスイスCaux(コー)の荒廃した大ホテルを購入して
国際会議場に修復し、戦後の和解のメッカとなった。

戦後4年間にドイツ・アデナウアー首相、フランス・シューマン外相(後の首相)を含む
3,113人のドイツ人と1,983人のフランス人が参加し、両国市民間の和解の場となった。

フランスの女性国会議員イレーヌ・ローは、息子が目の前でドイツ軍によって拷問を受けた。
ドイツに対する激しい憎しみを抱く彼女がコーに着くと、ドイツ人が多数いると聞き、フランスに帰ると宣言した。

しかし、自室に籠って考え抜いたあげく、会議場に現れドイツ人に対して謝罪した。
こうした憎しみが第一次大戦後にドイツを追い込み第二次大戦の契機になったとして。

彼女はドイツの未亡人などと和解した後、焦土と化したドイツ各地を度々訪問し、ドイツとフランスの和解に貢献した。

イレーヌ・ローと加藤シヅエ議員(右)

ロー夫人の生涯を描いた映画「あすを愛するがゆえに」の日本語版。
https://www.foranewworld.org/ja/material/films/asuwoaisurukayueni

中学校の社会科の教科書で紹介されたイレーヌ・ロー夫人