第44回IC国際フォーラム 基調講演
~日本人と世界が、ウクライナから学ぶこと~

日本人と世界が、ウクライナから学ぶこと
講師:セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使

皆さん、お早うございます。
駐日ウクライナ大使のセルギー・コルスンスキーです。
本日は休日にもかかわらず会場にお越し下さり、あるいはまたオンラインで、ウクライナの話を聞いて下さるということで、とても有難く思っております。

1991年にソ連が崩壊して、ウクライナが独立国家になった当初から、私は国家公務員としてウクライナ政府の仕事に就きました。

当時から、ウクライナの安全保障政策については論議があり、私も良く覚えているのですが、独立したウクライナの主権と国境を、周りの国々は勿論のこと世界中の国が承認してくれました。

当時は、独立を脅かすような脅威やリスクは見当たらない状況でした。リスクがないということで、ウクライナは軍隊の人数を急速に削減し、核兵器を放棄し、先端技術を用いた航空戦力も廃棄しました。今は同じ軍用機を、ロシアがウクライナへの攻撃に使っています。

ソ連時代から、ウクライナは弾道ミサイルや戦車を作っていたのですが、独立以降それらの兵器及び兵器製造工場を不要として廃棄・閉鎖したのです。

実は、ご存知の人は少ないと思いますが、ソ連圏で核兵器が初めて開発されたのはウクライナでのことでした。弾道ミサイルも最も性能が良いものを開発したのは、ウクライナの技術者でした。

ソ連が崩壊した後、平和な、武器のいらない国として、また敵対する国がない国として、経済成長と国民の生活水準の向上に焦点を当てて30年間発展してきました。

ただこの30年間は、結構難しい歩みでした。全ての計画がうまくいったわけではありません。汚職とかオリガルヒの問題もありました。

そのような中でも誇れる成果として、食糧自給率が100%になったことが挙げられます。また、外国への食糧輸出でウクライナがトップとなる品目も数多く出ました。航空機の開発も進み、道路などの社会インフラも整備されました。特に金融サービス部門では、ヨーロッパ各国とも十分に競争できるほどの力をつけました。

そういう状況の中で、2014年にロシアは、ウクライナからの挑発など何もないのに、クリミア半島を占領しドンバスと言われるドネツク州とルガンスク州の一部を占領しました。

つまり、ウクライナにとって、戦争が始まったのは今年の2月24日ではなく、8年前の2014年2月26日だったのです。

あの時は、覚悟ができていませんでした。けれども、今年はロシア軍を止めることができました。現時点では、一時的に占領された地域の奪還に入っています。必ず奪還します。

ここからは、これまでの8年間に私たちが学んだ教訓について共有したいと思います。

Lesson1 これまで作り上げたものは破壊された

これは、イジュームという小さな町の戦争前と戦争で破壊された後の写真です。「イジューム」というのは、ウクライナ語で「干し葡萄」のことで、その名の通り綺麗で小さな町です。1,000年前の歴史遺産もあります。ロシア軍から奪還した後の写真に写っているのは、軍の施設ではなく町民の住宅、学校、病院などの民間の建物です。全てが破壊されてしまいました。この街を奪還した後で、ウクライナ軍が発見したのは数百人もの町の人々のお墓でした。左上の写真に写っている人々は、フランスから来た戦争犯罪を捜査する国際的な調査チームの人達です。戦争犯罪の記録のために、私たちが招きました。ロシア人は、この町の建物の中に拷問室を作りました。右下の写真がその拷問室です。この中にウクライナ人が入れられていました。

Lesson2 愛する人は一瞬にして殺された

インフラが破壊されることは、最も悲惨なこととは言えません。一番悲惨で辛いことは、人が殺されることです。ロシア軍は、ウクライナの民間人を数万人も殺しています。武器を持たず、普通の生活を送っていた人々をです。何故、ロシア軍はウクライナの民間人を殺しているのか。その答えはただ1つ、ロシアの敵だから、ということなのです。

罪のない4人の家族が銃殺されました。4人家族の幸せな時の写真と、下の写真はその4人が葬られているお墓です。上の左の写真の男性は、毎日お墓参りに来ます。お墓に入っているのは、彼の息子夫婦とその2人の子供(彼にとっては孫)を含む家族です。子ども2人は、まだ小さな幼児でした。このようなお墓の数が、ウクライナ全土にどれ位あるのか分かりません。数百か所から、もしかすると数万か所あるかもしれません。ウクライナ軍が奪還した全ての村や町で、このようなお墓が見つかっています。それらのお墓を掘り返すと、数十から数百の民間人の遺体が埋められていることがあるのですが、全て掘り返して調査を行い、その後ウクライナの伝統に基づいて葬ることにしています。

Lesson3 大切なものは一瞬にして消え去った

こちらの写真は、ハルキウという町です。ハルキウには、多くの大学があり留学生も多数いました。産業も盛んな所で、技術開発拠点としてエンジニアリング企業や工場などが数多くありました。この写真は、丁度今のような秋の時季の写真ですが、戦争がなければハルキウは今もこの写真のような町だったはずです。

下の真ん中の写真は、ロシアの詩人のプーシキンの銅像です。この写真は、ロシアの文化がウクライナで尊敬されていたかどうかという問いに対する答えになります。プーシキンは、ハルキウを訪れたことはありませんでした。しかし、私を含む多くのウクライナ人はプーシキンの詩を習い、私も今でも暗記しているほどです。

これは、今の破壊されたハルキウの町の様子です。この町では、ほとんどの人がロシア語を話していました。ロシア語を話す人々の町は、ロシア軍によってこのようになってしまいました。この破壊された施設は、軍事施設ではありません。ロシア軍は、意図的に町の中心部、特に人々が住んでいるところを攻撃しました。その目的は、住民を恐怖やパニックに陥れることにありました。しかし、それは大失敗に終わりました。いまだにハルキウに対するミサイル攻撃が続いていますが、その中でも再建や修理の作業が続けられています。

ここで、皆さんに数字を示したいと思います。ロシア軍がウクライナに対して、この8か月間で打ち込んだミサイルの数は4,500発前後です。4,500発という数字は、近代史における1つの戦争で、未だ嘗て使われたことがない量です。

これも、beforeとafterの写真です。ロシア軍が来る前と来た後の様子です。 左の写真が、リゾート地にあった綺麗なホテルです。右側は、ウクライナ製の世界最大のムリーアという輸送機です。世界に1機しかないユニークな輸送機でした。この輸送機は、大きなサイズの機械設備とか、大量の貨物を運ぶことができました。オーストラリアでは鉱山用の設備を運ぶために使われ、アメリカでは大量の兵員や軍の設備を輸送していました。カナダでも使われました。着陸は、氷の上でも砂漠の地面でも可能でした。内部の広さは、サッカー場にも喩えられるほどの広さでした。この飛行機が、キーウの近くの飛行場に着陸する際には、見物客が1,000人近く集まっていました。製造コストは、10億ドルかかっています。このユニークな輸送機は、2月27日に本拠地とする飛行場で駐機していたところを、ロシア軍に破壊されてしまいました。

ロシアは、軍事施設しか狙っていないとプロパガンダで流していますが、現実は全く違います。ご覧のように、これは民間の建物です。おしゃれなワインのお店です。それが、こんなに破壊されてしまっている。このお店が軍事施設に見えますか? 私たちが得た重要な教訓は、このような悲惨なことが起きないように、自分たちで自分たちを守るということ、防衛ということを意識しなければならないということです。

今ウクライナ軍は、NATOの基準に切り替えるための様々な作業を行っています。数十人、数百人の兵士達が、イギリス、ヨーロッパやアメリカの軍人から指導を受けながら、新しいことを勉強しています。

この地図を見ると、ロシア軍がどれほどキーウの近くにまで迫ってきたかイメージできます。ホストメル・エアポートと書かれているところが、先ほどのムリーア輸送機が駐機していた空港です。キーウと最も接近していたロシア軍がいた所は、実は私の家から数キロの地点でした。北の方角から来たロシア軍を止めただけでなく撤退させて、今現在の主戦場はご存知の通り、へルソン州、ドネツク州、ルハンスク州です。毎日のように、ウクライナ軍が新しい町、村を奪還しています。

プーチンのロジックは、とても簡単です。クリミア半島に到る陸上の経路が必要だということです。勿論、私たちは絶対にそれを許しません。ロシアが、この陸上の経路を設ける途中にはマリウポリという町がありました。皆さんもご承知のように、この美しい町は発達した工業地帯でもあったのですが、今は完全に破壊されてしまっています。数万人もの人々が殺され、たくさんの人が拉致され、強制的にロシアに移住させられています。アゾフスターリという製鉄所の防衛戦についても、皆さんご存知のことと思います。

次の写真です。21世紀のヨーロッパの真ん中で(上空から)撮られた写真です。ブチャという、キーウ近郊の小さな町です。左上の写真が、避難中の市民が破壊された橋の下で退避している様子。右側の写真が、破壊されたロシアの戦車の車列の跡です。

左下の写真は、産科病院でお産直前に砲撃されて傷を負った妊婦が運ばれているところですが、残念なことに彼女も赤ちゃんも亡くなりました。

これも、ロシア軍が軍事施設だと言っている破壊された施設です。左側の写真が、戦車に砲撃された幼稚園です。右上の写真はキーウの幹線道路で、キーウ中心部から数キロメートルのところですが、手前の建物の後ろに見えるのが、わたしの母が住んでいる建屋です。ここから、渋滞がなければ十数分で大統領オフィスに着くという地点です。ロシア軍は、キーウ市の一部にまで入り込みました。

私たちは、非常に大きな犠牲を払って、ロシア軍の攻撃を止め撤退させ、今では復旧、再建の動きに取り組んでいるのですが、家を失ったウクライナの人々は、元の郷里・地域に戻りたいという希望を強く持っています。

ご覧のように、子どもの遊び場の近くに不発のミサイルが残っています。左下の写真が、民間人の家の近くに飛んできたミサイルです。下の写真は、生まれたばかりの赤ちゃんが、地下のシェルターで隠れている様子です。このような写真は、ウクライナが用意した偽物だとよくロシアは言うのですが、本物だと証明できるように外国記者がツイッターに載せた写真をピックアップしました。ロシアで起きていることと比較してみてください。

この写真は、第2次大戦が終わって77年になるのに、また戦争をやりたいというロシア人のパレードです。経済発展や生活水準向上の代わりに第2次大戦当時の軍服を着て母親が赤ちゃん連れでパレードに参加しているのです。

右上の写真は、多数の車で混雑している道路ですが、これはロシアとジョージア(グルジア)との国境近くの様子です。プーチンが発表した動員令から、逃れようとしている人々です。 プーチンが動員を発表した直後に、ロシアから全ての他国に行く航空チケットが売り切れてしまいました。その時の空港の様子がこの写真です。男たちがロシア国内から逃げようとしています。

右下の写真では、女性が警官に取り囲まれていますが、戦争反対の運動を一人で行っていた女性です。 結果的に、プーチンは30万人の兵士を動員できたと言われています。その動員兵たちは、訓練を受けず武器も渡されずにウクライナとの最前線に置かれています。

毎日、ウクライナ軍との戦闘で戦死するロシア兵の数は1,000人位と言われています。ウクライナの情報機関は、ロシア兵たちが故国の母親や奥さん・家族たちと携帯で話している内容を盗聴しています。その内容は、本当にショッキングなものです。例えば、兵士の奥さんが兵士の主人に対して「ウクライナ女性をレイプしていいよ」とか、「子ども用にノートパソコンを盗ってきて」とか、母親からは「洗濯機を奪ってきてよ」などという内容のものが多いのです。

ロシアでは最近、動員された男性の家族に対するインタビューが報道されているのですが、一例として夫が動員されたシベリアの女性のケースを紹介します。記者が「ご主人は戦争に行っていますが、どのような思いでいますか」と質問したところ、その女性は「彼はどうせ仕事もしないで、毎日お酒を飲んでいるばかりで家族に暴力を振るう奴です。万が一戦死しても、家族は国からお金がもらえるので、今のままが良い」と答えたのです。

皆さん、ロシアの領土の広さを想像できますよね。その領土から産出される膨大な天然資源の量も想像できることと思います。何でその領土と資源を使って、自国の国民生活の水準を上げないのか、何で人々に仕事をさせないのか、何でアルコール依存の問題を解決しようとしないのでしょうか。ロシアは、そうした国内の問題を解決しようとはしないで、国民の不満を外に向けさせようと戦争を継続的に行っているのです。

Lesson4 北朝鮮とロシアの行動には直接的な関係がある

実は、この写真を今日のプレゼンテーションに加えたのは今朝のことです。日本政府が、警報を発した時です。ご存知のように、昨日の夕方から今日未明まで、北朝鮮が23発のミサイルを日本と韓国に向かって発射しました。つまり、北朝鮮がやっていることとロシアがやっていることとは、直接的な関係があるということです。

これが、今日私が共有させて頂きたい4つ目の教訓です。今、核兵器を持つロシアというスーパーパワーが、戦闘においてウクライナに勝てないという状況になっています。そのためにロシアは、アジア地域においてリスクや恐怖を高めるように、中国と北朝鮮をそそのかしているのです。ロシアと中国は、アメリカの集中力をアジアとヨーロッパの2方向に分散させようとしています。アジアには、以前から台湾や尖閣諸島をめぐる緊張がありましたが、今はワザとそれを増大させています。何故今のタイミングで北朝鮮がミサイルを打っているのかというと、11/8にアメリカの中間選挙があり、またその次の週にはインドネシアのバリでG20サミットがあるからです。その場で国際社会は、プーチンに対して交渉に入るように働きかけることが予想されるからです。

最後になりますが、皆様から様々なレベルでウクライナに対する支援を頂いていることに感謝申し上げます。

特に今日の主催者である国際IC日本協会、またAAR-Japan及び国際赤十字社経由で支援を頂いている日本赤十字社並びにその他の慈善団体に対しましてお礼申し上げます。

(日本語で)ウクライナへの支援に感謝しています。

ご清聴有難うございました。