1962年
小田原にMRAアジアセンター開設
一万田尚登元日本銀行総裁、渋沢敬三元大蔵大臣、十河信二国鉄総裁などが尽力。
池田勇人首相、岸信介前首相、吉田茂元首相、片山哲元首相も出席。
国交の無かった韓国の金鐘泌中央情報部長が、この開所式出席を理由に来日。
太平正芳外務大臣と会談し、「太平・金メモ」で合意。3年後の日韓国交正常化への布石となる。
アジアセンターODAWARAと後に名称を変更したが、渋沢雅英代表理事を中心に、「シング・アウト」や「Up With People」といった劇による啓蒙・教育活動や、MRA移動学校、英語学校、東南アジアとの交流事業などを行った。
2006年に閉鎖後も、財団法人MRAハウスが、「国際相互理解の増進」、「国際リーダー・人材の育成」、 「公正かつ自由で創造的な民間公益活動の振興」等の事業助成に加えて「アジアの未来」の構築事業を行っている。財団法人MRAハウスは1984年以来国際IC日本協会に対して寛大な資金助成を行ってきた。この二つの法人は、MRA/IC運動という共通の目的の下で異なる事業を展開している。
渋沢雅英作、劇「光の矢」。
日本の政界、財界、社会の腐敗の実態とそれに対する答えを模索した劇。東京や大津市などで上演。「実業の日本」が、その台本などを紹介。(1959年)