ICの基本理念

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スイス・コーIC国際会議場

■ICの信条


IC(アイ・シー)とは、Initiatives of Change(イニシアティブズ・オブ・チェンジ)の略称であり、1938年にMoral-Re-Armament(MRA)としてロンドンに発足した団体です。発足以来、この団体は、「あなたが変えたいと思う人やあなたが変えたいと思う国に直面した時、まずあなたがなすべきことは、あなた自身を変えることです。そうすれば人も、国も変えることができるのです。」という考え方をずっと提唱してきました。

宗教、人種、民族等の違いを超えて、世界中で信頼の架け橋を作ってきました。現在、国連の認定を受けたNGOとして世界60ケ国以上で活動しています。

 


■MRA(IC)の様々な平和作りのための活動


戦後のドイツとフランスの和解

02-012

MRA(現IC)は、第二次大戦の直後、GHQからの特別な許可を得て、ドイツ各界の代表をスイス・コーの国際会議に招き、そこで長年の仇敵であったフランス人との和解を進めたのです。当時、フランスの社会党の国会議員であったマダム・イレーヌ・ローは、ナチスへのレジスタンス運動に参加していた時、目の前で息子がゲシュタポから拷問を受けたためドイツ人を非常に憎んでいました。彼女が招かれてこのMRA会議場に来て見ると、ドイツ人たちが大勢いたのです。直ぐ、荷物をまとめて発とうとした時、ブックマン博士に「ドイツ抜きにヨーロッパの再建が出来ると思いますか?」と問われました。

 

彼女は部屋に戻って3日3晩悩み、考え抜きました。ドイツ人との食事に臨んだ彼女はそこでドイツに対してもっていた憎しみを謝罪すると共に、大勢のドイツ人が緊張して見守る中、大会議場の演壇から謝罪をしたのです。ドイツの代表団は感激し、それをきっかけに両国の間に和解の橋が架けられていきました。

 



日本の国際社会への復帰とアジア太平洋諸国との和解

Toyo Miyatake Studio Rafu Shimpo Collection

MRA(IC)は、1950年、MRAの人々の浄財により、経済人、労働組合指導者、知事、広島・長崎の市長、教育者、政治家など72名の日本代表団をスイスのMRA世界大会に招きました。

敗戦で自信を失っていた日本人が暖かく世界の人々に受け入れられ、独仏の和解や労使協調など各国の人々の多くの和解の体験を聞く機会を得たことが、これら代表団に大きな影響を与えました。国会議員のグループは、帰路立ち寄ったアメリカ議会において、栗山長次郎議員が、「一世紀にわたる両国間の友好関係を日本が破ってしまったことは遺憾である。我々が犯したかような失敗にも拘らず、寛大なアメリカは日本を許し、日本の存続を認めるだけにとどまらず、復興の助けを担ってくれた」と述べ謝罪しました。

この謝罪はアメリカ議会のみならず、週刊誌「サタデイ・イブニング・ポスト」でも「自国の失敗を認めるというこの行為は新鮮な衝撃をあたえてくれた」、「私たちアメリカ人も過去を省みて、『あの時は全く失敗だった』といわなければならない点が必ずあるだろう」と論じ、大きな評価を受けました。

 

1955年には、フ08-005ィリピンのマグサイサイ大統領が、日本やアジアのMRAの代表を戦争の傷跡の生々しいマニラに迎えました。
星嶋二郎(にろう)議員は、ここで日本の過去の過ちを謝罪し、このことによって、四年間も困難な交渉が続いていた賠償協定の道が開かれました。

また、1957年のフィリピンのバギオで行われたMRA会議でも、日本からの代表がアジアの人々に心からの謝罪を行いました。
このことにより、最初は日本の代表とは口も聞こうとしなかったという韓国からの代表とも和解ができ、日韓条約締結の足がかりともなっていったのです。

 

他にもアフリカのモロッコの無血独立や、ジンバブエでの白人政権から黒人政権への平和的な移行、そして現在も、新たに独立した南スーダン等々、世界各国で多くの和解のための活動がなされています。